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2009.05.05 Tue

追悼
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2009年4月28日pm2:27 父が永眠しました。


その知らせを私が受け取ったのは、湘南新宿ラインの赤羽駅でした。
私は前日より発熱して、この日は会社を休んでましたが、姉から父の危篤の連絡を受け、急いで支度をし、娘を学校へ迎えに行き、実家のある埼玉に向かったのですが、父の最期を看取ることは出来ませんでした。




ちょうど1ヶ月前の3月29日、実家で法事があったので父に会ってます。
実家は本家なので、親族一同集まり盛大に法事を行い(お墓も改築したこともあり)、父は主催者として奮闘していました。
後で聞いたのですが、この時すでに熱があったようです。
法事も滞りなく終わり、その後、父は寝込んでしまいました。
呼吸が苦しそうで、一緒に眠っていた母が看ていられないと言うので、急きょ病院へ。
そのまま、入院してしまいました。それが3月31日。
診断は、インフルエンザによる重度の肺炎。

4月1日、私の携帯に危篤の連絡が入りました。
慌てて実家へ帰ったのですが、父に会いに行くと意外と元気そう。
酸素マスクをしているけど、笑ったり会話もできる。
どこが危篤なのだ?と思うくらいでしたが、医師から説明を聞くと肺はまっ白、活動している肺は全体の3割だと...
酸素マスクからはMAXの酸素が送られている状態で、よくそんな状態で、笑って話をしてられるものだと感心したくらいでした。
医師からは、人口呼吸器を装着するか否かを迫られてる私たち家族の前で、笑ってる父。
まさか、こんな日がくるなんて誰も想像がつきませんでした。
そして、人口呼吸器を装着して薬で眠らされたのが4月1日の夜。

人口呼吸器を装着して薬で眠らされてる父の意識が戻ったと連絡を受けたのが、4月20日。
すぐに会社を早退して、父の入院している病院へ。
声をかけると、わかったようなわからないような表情をする父。
まだ、体内に残った薬のせいで頭が朦朧としてる様子。
この日の医師からの説明では、人口呼吸器をつけなければきっと4月1日には亡くなっていたでしょうと。奇跡的なことが目の前で起こったとみんなで喜んだのでした。

人口呼吸器が完全に外されたのが、4月22日の朝。
自発呼吸になった父に会いに行ったのが、4月25日。
リハビリが始まっているので、午後になると疲れて眠ってしまう父を従妹と、
『疲れちゃったんだろうか?そーっとしておこう』
と話してた矢先、父の目が開いた。
賺さず、父に声をかけると、にっこり笑って何か話そうと口を動かすけど、声にはならず。
でも、私だとわかってくれたのが凄く嬉しかった。
が、その翌日から様態が悪くなっていった。
4月27日深夜、様態が急変し再度人口呼吸器を装着。
そして、4月28日、母と叔父に見守られる中、永久の眠りにつきました。

毎回、医師からの説明ではあまり良い結果を聞けませんでした。
人口呼吸器が外せたのは奇跡的なことだったけれど、体内の数値は良くない状態。
でも、家族は、父の退院を夢見て頑張って看病していたのです。
それだけに、落胆は大きなものになりました。

今思うと、娘たちの顔を最後に確認するかのように覚醒した1週間でした。
最期には一緒にいてあげられなかったけど、父の笑う顔を見られて本当に良かったと思います。
あのまま、父が覚醒せずいたら、残された家族はどうなったのでしょう。

父の葬儀も無事に終わり、それぞれの生活に戻ろうとしている私たち家族。
私はまだ、長い夢をみているような気分です。



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